- 研究の背景
かつて東北地方は寒冷な気候、高食塩摂取、低い動物性蛋白・脂肪の摂取などにより、高血圧、脳卒中の最多発地域であった。しかし、戦後 60余年、行政、医療機関、住民の努力によりこの地域の公衆衛生的改善は著しく、現在では東北地方が脳卒中の最多発地域であるという汚名も返上されつつある。事実、住民の減塩運動などに代表される公衆衛生意識は農村部で都会を凌駕しているとさえいえる。
岩手県花巻市大迫町 (以下、大迫町)は盛岡の南 30 km に位置し、果樹栽培を主体とした兼業農家で成り立つ、東北地方の典型的な一農村である。本研究の開始時(1986 年)、大迫町の人口は 9,300 であったが、若年者の流出、出産の減少、高齢者の死亡により 合併前の 2006 年で人口は 6,600 に減少するといういわゆる過疎の町である(図1)。
大迫町は行政的に内川目、外川目、亀ヶ森、大迫の 4 地区に分かれている。大迫町の医療機関は唯一岩手県立大迫病院 (現・大迫地域診療センター)のみが存在するといって過言ではなく、この大迫病院が一次および多くの二次医療を担当し、三次医療は盛岡市内、旧花巻市内の医療機関が担当している。したがって、ほとんどすべての旧町民の診療録がこの病院に保存されている。
さて Ohasama 研究は、longitudinal cohort study であるが、行政、医療者の立場からは、住民の passive な健康意識を家庭自己血圧測定( HBP )を導入することで、active なものに改革するための介入と考えられる。一方、研究としての目的は自由行動下血圧( ABP )、HBP を用いた循環器疾患の疫学的研究であり、ABP、HBP の臨床的意義を確立し、高血圧の一次予防、二次予防における ABP、HBP の位置を確認することである。
まず第一になされるべきことは、ABP、HBP の予後予測能の確立である。もしもこれらの血圧情報が従来の検診時随時血圧( CBP )より予後予測能において優れたものであるなら、高血圧という病態の表現型としては ABP、HBP によるものが CBP によるものより優れているといえる。したがって、これまでの CBP に基づいた高血圧の概念から、ABP、HBP に基づいた概念への変換が迫られることとなる。また仮に、ABP、HBP が高血圧診療・治療の gold standard たり得るなら、これらの導入の医療経済への影響も大きいと予想される。
さらにまた、先端科学的手法を用いた高血圧研究の基礎に、高い精度をもつ疫学データに裏付けられたコホート集団が用いられることで、molecular level の研究あるいは genetic な研究のより正しい評価が可能になると思われる。
現在 Ohasama 研究では、記述疫学から genetic epidemiology までの幅広い研究が進行中である。9,300 人の人口から縦断的研究の成果を知るには、長い観察期間を要する。したがって、その間に逐次横断的研究の成果が報告されてきた。
横断的研究の成果
- 再現性
- 以降の成績を得るにあたり、データの安定性としての再現性が ABP、HBP で検討された
1,
2)。
その結果、ABP の再現性は CBP 2 回の平均値の再現性とほぼ等しく、決して再現性は良好とはいえないが、HBP の再現性はきわめて良好であり、疫学的手法、臨床薬理学的手法、あるいは臨床研究の手法としてきわめて優れていることが予想された。
- ABP、HBPの分布
- これまでに大迫町住民中 7 歳以上の 5,000 人が HBP を、また 20 歳以上の 3,500 人が ABP を測定している。これらのデータを基に、地域住民における ABP、HBP の年齢推移が検討された3,
4)。
ABP も HBP も加齢とともに上昇するという傾向は、検診時 CBP と差はない。しかしその上昇の程度は検診時 CBP 2 回の平均でとらえたものが最も大きく、HBP 20 回の平均がそれに次ぎ、30 分ごと 24 時間のABP 平均の加齢昇圧は少ない。
ASBP( ABP における収縮期血圧)においては、24 時間平均値は、CSBP(外来血圧の収縮期血圧)に比べておよそ10 mmHg 低く、DBP(拡張期血圧)にはニ者で大差はない。夜間血圧の平均値は CSBP に比べて 20 mmHg 低く、DBP で10 mmHg 低い。 昼間 ASBP は CSBP と差はない。HSBP(家庭血圧の収縮期血圧)は CSBP に比べ各年齢層で10 mmHg ほど低く、HDBP(家庭血圧の拡張期血圧)は CDBP(外来血圧の拡張期血圧)と大差を認めない。
血圧の年齢推移には男女差があり、青壮年期には男性が女性より高値を示し、およそ 50 歳で男女差がなくなり、それ以降やや女性が高値をとる。DBP の上昇は 60 歳台でピークを示し、ABP、HBP ともにそれ以降低下する。従って、ABP、HBP の脈圧は大きくなる。
ABP、HBP 測定時にとらえた心拍数(HR)は加齢とともに減少する。Ohasama 研究では ABP は 24 時間を通し 30 分ごとに測られているが、この 30 分ごとの血圧の変動性(短期変動性)の指標(標準偏差、SD)は、昼間、24 時間のみならず、夜間においても明らかに加齢とともに増大する。一方平均 20 日間 20 回測定された HBP の SD も同様に、加齢とともに増加する。このとき HR の SD は ABP においても HBP においても減少する。
これらの研究では CBP と ABP の相関は、r=0.56/0.45 であり、CBP と HBP の相関は r=0.57/0.53
であった4, 5)
。すなわち、高い相関性は認められない。このような ABP、HBP の分布から、ABP 全対象の平均、平均+1 SD、平均+2 SD、95% 値は、24 時間 ABP でそれぞれ 123±13/71±8、135/79、148/86、146/85 mmHg であった。一方、HBP のそれらは 117±13/69±10、131/79、144/89、143/85 mmHg であった。またCBP 140/90 mmHg 未満の正常者対象における 24 時間 ABP の平均、平均+1 SD、平均+2 SD、95% 値はそれぞれ118±11/70±7、129/77、140/84、144/83 mmHg であり、HBP のそれらは114±11/68±9、125/77、137/86、134/83 mmHg であった。
これらの値から統計処理による ABP、HBP の標準値が提示され得るが、これらはあくまで血圧値の分布の状況を指し示しているに過ぎない。しかしながら、こうした値が国内の他の成績や欧米諸国における数値とよく一致することも事実であり2)(国際データベースの項参照)、ABP、HBP 値に人種差、地域差が乏しいことは大切な点といえる。
最も最近に至り、Ohasama 研究では、CBP、ABP、HBP の三者を同時に測定した対象におけるそれぞれの比較がなされた5)。それぞれの分布を図2 に示す。
それによれば、SBP(収縮期血圧)は CBP=昼 ABP > 24 時間 ABP ≒ HBP >夜 HBP >夜 ABP の順であるが、DBP は朝 HBP ≒ CBP > 24 時間 ABP >夜 HBP >夜 ABP の順であり、朝の HBP の高さが目立つ。この性格を決めているのは年齢とともに降圧薬の有無であり、朝の血圧が高いという現象は降圧の不十分な持続時間が一部もたらしているといえる。
- ABP による日内変動の分析
- ABP の特徴は、24 時間にわたる血圧の変動性、すなわち概日変動性を知り得ることである。昼高く、夜低いとするこの一般的性質を規定する要因を大迫住民で探った
6,
7,
8)。
夜間降圧が昼間血圧レベルの 10% 以内のものを non-dipper とするとき、non-dipper の存在は高齢男性に多い。ことに正常血圧者に多く認められる。一方、夜間降圧が昼間血圧レベルの 20% 以上を示す、いわゆる extreme-dipper (夜間過降圧型)の出現は、若年者では血圧レベルに関係なく比較的高頻度である。この頻度は加齢とともに男女とも減少し、ことに高齢男性ではこの頻度は少ない。ところが、高血圧高齢女性ではこの頻度は若年者と変わらず、高い出現頻度が維持される。全体としては男性では加齢により夜間降圧は減少するが、女性ではこの加齢による夜間降圧度の変化は少ないといえる。
さて昼間血圧の平均が高血圧である extreme-dipper の夜間血圧レベルは、昼間正常血圧者の夜間血圧レベルに比べて有意に高値を示す8)。すなわち extreme-dipper の夜間血圧レベルは決して正常以下ではない。
夜間降圧に及ぼす要因が分析された7)。単回帰分析では、夜間降圧度、降圧率ともに昼間血圧レベルの上昇に従い増大した。しかしながら、夜間血圧レベルは昼間血圧レベルの上昇とともにやはり上昇した。したがって高血圧では昼間夜間ともに高値にあり、両者に対する降圧が必要である。
もうひとつ ABP から得られる情報に、30 分ごとの血圧変動性がある
9)。
未治療者の分析において、血圧短期変動性は年齢、血圧レベルと強く相関した。さらに脈圧の増大、BMI ( Body mass index )の増大が血圧短期変動性と正に相関していた。
さらに横断的調査において、CBP と 24 時間 ABP 値の較差(白衣現象)の性格が検討された
10)。
白衣現象は加齢とともに、またCBP レベルの上昇とともに増大し、ABP レベルの上昇に従い減少した。
- 臓器障害
- 横断的調査において、ABP、HBP が CBP に比べて高血圧性臓器障害をよりよく反映するかが検討された。
心電図上の左室肥大は CBP レベルとは相関しなかったが、ABP レベル、ことに 24 時間 ABP レベルと有意な相関が認められた。
心エコー上の左室心筋重量( LVMI )、左室拡張能( A/E 比)と血圧の関係をみると、LVMI は ABP レベルとのみ相関が認められた。A/E 比との関係は正常血圧者においてのみ、24 時間 ABP と負の相関が認められた。さらに昼夜較差との関係では、高血圧対象者で non-dipper における LVMI が dipper に比べて大きかった。
尿中微量アルブミンと血圧レベルの関係では、尿中微量アルブミン排泄量を尿中クレアチニン排泄量で除した指標( Ualb/Ucr )で、24 時間の ABP 値と Ualb/Ucr は正の相関を示したが、CBP ではこの関係は統計的に有意に至らなかった。すなわち、24 時間 ABP 値は本態性高血圧の腎機能障害をより早期に予測するといえる。
無症候性脳血管障害と ABP の間の関係が調べられた。65〜75 歳の高齢者において、夜間昇圧度と無症候性脳血管障害の関係は男性と女性で異なっていた。すなわち、男性では夜間降圧度の減少に従い、ラクナ梗塞の数は増加し、傍側脳室高輝度病変( PVH )の程度は増悪した。一方女性では逆に、夜間降圧度の増大に従い PVH の程度は増悪した
11)。
そこでこうした無症候性脳血管障害の危険因子と予測因子を多重ロジスティック回帰分析により検討すると、ラクナ梗塞の危険因子は尿酸値、年齢、喫煙、血清クレアチニン値、予測因子は頸動脈エコー上の
プラーク数であった。同様に PVH の危険因子をみると、年齢と高血圧が独立して危険因子として選択された。
- 縦断的研究の成果
- 予後予測能
- ABP、HBPの予後予測能が CBP のそれとの関係で検討され、逐次報告された
12,
13,
14,
15)。
当初観察期間の短い成績では、総死亡と ABP、HBP の関係には J 型関係が明瞭に認められた12, 13)。こうした関係は CBP では見い出されなかった。
さらに、ABP と CBP の予後予測能を比較するために、40 歳以上の 1,542 人を平均 5.1 年観察し、Cox 比例ハザードモデルで脳血管死亡との関係を見ると、ASBP では高い血圧で心血管死亡を予測しえたが、CBP では予測できなかった。ABP と CBP を同時に連続変数として Cox 比例ハザードモデルに入れると ASBP のみが心血管死亡と有意に関連しており、これから ABP が CBP に比べて優れた生命予後予測能を有することが明らかとなった13)。ABP、HBP と CBP の比較では、HBP の格段に高い脳心血管死亡の予測能が明らかにされた14)。この HBP の高い予測能は 20 回という多数の点にのみ由来するのではなく、初期の 2 回の平均値さえ CBP に比べて明らかに高い予測能を有している15)。
もっとも最近の分析で、CBP、ABP、HBP の三者を検討し得た 1,200 人の総死亡においては、ABP、HBPの DBP には J 型関係を、SBP では直線関係が認められたが、非脳心血管死亡を除外した後、ABP は SBP、DBP ともに脳心血管死亡との間に直線関係が、また HBP では SBP で直線関係が認められるものの DBP は依然としてJ型関係が認められている。ASBP では10 mmHg の上昇につき、脳心血管死亡の相対危険度が 1.33 倍、DBP では 1.44 倍だけ上昇する。一方、HSBP では10 mmHg の上昇につき相対危険度が 1.24 倍だけ上昇する。
また脳卒中の発症に関しては、HBP が CBP に比べてより高い予測能を有する14)。
- 基準値
- ABP、HBP と総死亡あるいは脳心血管死亡との関係から、有意に死亡リスクの上昇するレベルを高血圧、最も低いレベルを正常血圧とする基準値の作成が試みられた
16,
17)。
これまで述べられてきた予後予測能は、血圧レベルを群分けして相対危険度を検定する non-parametrical な分析である。それらの分析により、ことに総死亡との関係で、HDBP、ABP は J 型関係を示すことが明らかとされてきた。そこで、これらのJ型関係を二次式に適合させ、parametrical に相対危険度が 10% 増加する点、あるいは最もリスクの低い血圧レベルの 95% confidence interval から HBP、ABP の基準値を求めた。その結果、HBP では 137/84 mmHg 以上が高血圧、それ以下を正常血圧と推定した。同様に、24 時間 ABP の高血圧は135/80 mmHg 以上に設定された。
しかし、先に述べたごとく、非脳心血管死亡を除く脳心血管死亡のみで ABP とみた関係では、直線性が示され、すなわち lower the better の関係があり、単純に基準値を求められない。したがって差し当たり、上記の総死亡に基づく reference value が現存する予後に基づいた唯一の基準値である。
- その他の情報と予後
- ABPM によって血圧日内変動、血圧短期変動性、白衣性高血圧が、また HBP からは長期変動性、白衣性高血圧の情報が得られる。Ohasama 研究においてもそうした情報の臨床的意義が検討されている。本研究により予備的に血圧短期変動性、長期変動性はともに独立した予後予測因子であることが明らかにされている。また白衣性高血圧の予後は正常血圧者と同等であることが確認された。
日内変動に関しては、現在治療中の高血圧患者において、dipper で non-dipper に比べて脳卒中の発症頻度が高いことが示されたが、一方、脳心血管死亡に関しては、non-dipper、inverted-dipper(夜間昇圧型)で予後が不良であり、extreme-dipper では正常 dipper と差のないことが示された13)。この成績は dipper が脳卒中の危険因子であり、一度生じた脳卒中では non-dipper となり、その予後が不良であるという因果関係を示唆するものと考えられる。
- 国際データベースとしての Ohasama 研究
- これまでに、Ohasama 研究以外に ABP、HBP を用いた多くの臨床研究、疫学的研究が世界の各地で行われている。例えば、アイルランドの Irishi Bank Study、イタリアの PAMELA 研究、PIUMA 研究、ベルギーの Belgian population 研究などである。これら世界の異なった民族の ABP、HBP のデータがベルギーの Staessen 教授のもとに集められ、国際データベースとしてその分析が進められている。その結果、ABP、HBP の分析、平均値は民族差が少なく、驚くほど類似している。
Staessen らは、国際データベースのメタ分析により、随時正常血圧者の 24 時間 ABP の平均値+2SD 値は 136/84 mmHg、95% 値は133/82 mmHg であり、また HBP の平均+2SD 値は 137/89 mmHg、95% 値は 135/86 mmHg であると報告している。これらの値は Ohasama 研究の成績ときわめて類似している。
- Ohasama研究の将来展望
- Ohasama 研究では、ABP、HBP 情報とともに住民の背景、予後が詳細に調べられている。それに加え、眼底、心電図、頭部 MRI、頸動脈エコー、尿中微量アルブミン排泄量、電解質、脂質、耐糖能、血漿レニン活性、血漿アルドステロン濃度などの臓器障害や生化学的、代謝的検討が同時に、また悉皆的に調査されている。また、長谷川式 minimental test や認知機能などの脳高次機能の指標が調査されている。これらは東北大学大学院(臨床薬学、公衆衛生学、環境保健医学、教育学研究科)などの共同作業として行われている。
これらの検討は原則的に 40 歳以上を対象として行われており、今後長期に調査が進行するに従い、住民の多くがこうした情報を提供してくれることになる。今後はさらに高血圧、臓器障害の関連遺伝子検索も視野に入れている。Ohasama 研究のデータが高血圧の一次予防、二次予防、そして臨床に大きく貢献するであろうことを期待したい。
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